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連載

2021.05.13

不織布マスクはプラスチックだった!

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コロナ禍のニュースの中で、筆者がとても驚いた、というべきか、それとも常識というものは本当に違うのだな、と感心したというべきかはわからないのだけれど、所変われば品変わるものがあると思った。
それはマスクの存在である。
日本人は以前からマスクをすることに抵抗がない人が多いと思うけれど、海外の人たちは千差万別というよりは十中八九はマスクをする習慣がなさそうだ、ということをワイドショーなどが報じていた。確かに以前からパリコレクションなどでパリに行くときに何度かマスクをしていたけれど、そのときのパリの人たちの不思議そうな目といったら、相当な感じだった。避ける人もいるくらいで、「相当な病気を持っている人」という意識だったのだと思う。それくらいにマスクは〝普通はしない〟ものなのだとわかった。
とはいえ、日本人においてはマスクの存在は千差万別という言葉を使っても良い気がする。ぼくの個人的なことから語るとコロナ前において他人の倍くらいはマスクを使用していたと思う。それはなぜか?
アレルギー性鼻炎だからである。
遠い記憶を辿ると、記憶のかなり下層にあるもののひとつがアレルギー性鼻炎を見てもらうために行った耳鼻咽喉科での出来事だ。
母親に手を引かれ、家からかなりの距離の場所、記憶を辿るに子どもの足では30分はかかりそうな場所に、今ではほとんど見られなくなった洋館風の医院があった。診察室にはミントグリーンの木枠の美しい窓ガラスからの光が優しく入っていた。その光は美しいという記憶になっている。
その美しい光とは裏腹に目の前にシャーレがあった。医療としての鼻水点検が始まり、そこに止めどなく流れる鼻水にすこし「怖さ」を感じていたのは間違いのないことだった。それが証拠に今でもこのシャーレを見ると「怖さ」が蘇るのだ。
そのころはアレルギー用の薬を飲んで、鼻水を抑えていたのだけれど、それが「花粉症」という言葉でポピュラリティを持つことになる。だが、それまでのマイノリティ時代は春になると風邪と勘違いされ、さまざまな民間療法に手を染めたものである。ハッカ&ドクダミに始まり、柿の葉茶、甜茶、ルイボスティ、杉のお茶も飲んだ。それをハイパーにした減感療法もした。
それでも薬に頼らざるを得ないことが多かった。だが、薬をある時期から使いたくない(実際に体にだるさを覚えるため)と思い始めた頃に「不織布マスク」が登場する。普及したのは80年代後半から90年代だったと思う。(調べてみると1973年にその原型が生産・販売されたそう)コロナ禍でのコロナ対策と同様にアレルギー性鼻炎のアレルゲン対策でも布のマスクでは花粉も含め、ハウスダストなどにも効果は半減する感じだった。しないよりはもちろんしたほうが良いのだけれど、それでも不織布マスクは偉大だったのだ。
以前からの愛用者にしてみるとある意味で花粉症の存在で「不織布マスク」がやっと市民権を得たという印象なのだが、コロナにおいては「必需品」という高い位置にまで上り詰めていく。世の中何が起こるかわからないとはこのことなのかもしれない。
そんな不織布マスクをみなさん、何気なく使っていらっしゃると思うのだけれど、これがプラスチックだということはご存知ないのではないだろうか?
ぼくは人に会うごとに「知っている自慢」をするように「不織布マスクはほとんどがプラスチックでできているんだよ、知っていた?」と小学校の教室で前の日のテレビ番組を見たこと自慢のように語っているが、知っていた人は1割いるかいないか、という印象だった。(あくまでも内輪マーケティング!)
知って欲しいことは、布マスクでは防げないものが不織布マスクならかなりの効果を持って、防いでくれることだ。そして、プラスチックが悪いのではなく、さらにいうのであれば「不要」ではなく「必要」だということを知って欲しい。
衛生面から現状では、リサイクルとしての回収はできないそうだが、これだけの消費量があることを考えるとリサイクルも視野に入れた使い方をして欲しいと願いつつ、コロナにそしてアレルギー性鼻炎の強い味方が現れたことに感謝をするとともに、プラスチックの縦横無尽、変化自在の性質にも感謝する今日この頃。
バイオマスプラスチックでできたら、環境にも優しくて、もっと良いことありそうだ!
Text by 北原徹
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